![]() |
Gallery ![]() |
Gallery: 作品紹介(クリエイティブコモンズ)
|
![]() |
教員時代、昭和14年(1939)頃香美郡在所村・府内小学校の校庭にて (府内第五尋常小学校訓導兼校長) 弥太(41歳頃)の左隣が妻の由(よし)、 由が抱いているのが、四女の泰子。 弥太の右前に座っているのが三女の璟子(ようこ)。 (岡本弥太生誕百年記念展図録より、部分転載) |
![]() |
教員時代、昭和12年(1937)3月前濱尋常高等小学校の「卒業の思ひ出」より (弥太は、恩師の写真の前列左端) この記念写真は、 高知県前濱尋常高等小学校と 同 實業公民学校の合同記録 (岡本龍太所蔵、by IAM) |
![]() |
詩の同人誌「鬣(タテガミ)」
|
![]() |
教員時代、昭和2年(1927)3月夜須尋常高等小学校の「卒業記念」より (弥太は、恩師の写真の後列左端) この記念写真は、 高知県香美郡夜須尋常高等小学校と 同 村立女子農業補修学校の合同記録 (岡本龍太所蔵、by IAM) |
![]() |
岡本弥太の詩碑「白牡丹図」弥太没後、仲間や弥太を慕う多くの人々の努力により 昭和23年(1948)4月20日、香美郡岸本町に建立 (詩碑除幕式は、同年7月17日) 詩碑には、高村光太郎に依頼して揮毫してもらった 「白牡丹圖」の詩が、しっかりと彫り込まれている。 「白牡丹の花を捧げるもの・・・・ 岡本彌太」と。 (撮影 2013.11.13 by IAM) |
■ 2013.11.18:
ホームページ(Index)他、全ページの標準化
その13です。検索ページ表示用に、全11ページの「タイトル」を再設定して揃えました。
■ 2013.10.16:
Webの目次:Table of contents:の試案を配置してみました。
新WebSiteの構成を明らかにするため、必要と思われる目次テーブルを試作しました。
その2です。後日、追加や修正もありますので、まだ決定ではありません。
■ 2013.10.15:
「詩人 岡本弥太の軌跡」のテストページ(Home)を作成しました。
あ・あ・あ・・・テストページを作成しました。
その1です。詩集から「白牡丹図」を引用しました。
Link(1):
下記項目から、外部サイトへリンクしています。
宮沢賢治記念会 花巻市「宮沢賢治記念館・生家(蔵)」のご案内
Link(2):
下記項目からも、外部サイトへリンクしています。
キングレコード:日本娘(にほんのむすめ) by Youtube
(作詞:岡本弥太、作曲:吉原 規、唄:伶明種子・伶明櫻子)1931年
参考1:弥太の座卓とは
* 弥太の座卓は、現存のものを岡本龍太撮影(2013.10)の写真より掲載しました。
江戸時代までの日本では、家の中でも身分・家長制度のため家族が同じ食卓につく習慣が無く、それぞれが床の上に置かれた「膳」や「箱膳」で食事をしていました。しかし、明治時代から四民平等となり、西洋のダイニングテーブルと日本の食事スタイルの融合から、座卓や卓袱台が作られました。「弥太の座卓」は、晩年まで自宅で使われていたもので、ケヤキ突板による天板作りや脚部のスタイルから、昭和時代に購入されたものと思われます。三女、璟子(ようこ)によると、食事や団欒だけでなく、この座卓で詩や原稿も書いていたそうです。
参考2:「いたつき」とは
* 岡本弥太の詩、「盾」の中に、「いたつきのつはものとなれ」の表現があります。
宮澤賢治の詩にも、「いたつきてゆめみなやみし」などと表現されています。
漢字混じりで表現すれば、「労の強者となれ」。労(いたずく)は、文語では「いたづく」痛付くの意味、古くは清音の「いたつく」と発音されていたようです。つまり、労(いたつき)とは、心労や苦労、病、骨折りと考えれば、詩のイメージが理解しやすいのではないでしょうか。なお、労(いたずき)で、功労、功績の意味もあります。